[紀行] 中欧、ドイツ3か国周遊紀4

中欧、ドイツ3か国周遊紀 4

10月21日(水)3日目。
チェルスキークロムノフを8:00に出発して、ドイツ、レーゲンスブルクへ向かう。
メルヘンチックなこじんまりした街だった。もう少し、ゆっくりしたい街だが、そうも言ってられない。レーゲンスブルクまで200km超の移動だ。ここ、チェスキーのホテルに泊まるのは中々予約が取れなく、難しいらしい。今は、若干シーズンオフでおり易い時期ではあるらしいが。特にツアーで宿泊するのは珍しいとのこと。
チェスキークルムロフホテルの朝食に出だ「にしん漬け」は、美味しかった。ソーセージや肉が中心だったため、嬉しい。

バスは、農道のような細いくねくねした道を行く。周りは牧草地だ。牛、馬は、寒いせいか、朝早いせいかあまりいない。
途中、チェコとドイツの国境を通過するが、今は国境といってもEU国のため、パスポートチェックも何もない。国境警備隊の建物が残っているを車窓からみることができた。
レーゲンスブルクは、ドナウ川に沿った街。
お昼は、ソーセージとザワークラフト、ちょっと塩味が強すぎ気味。大聖堂のパイプオルガン。

ミュンヘンを経てニュンヘンブルクへ。ミュンヘンの中心街は、車窓から見るだけだったが、大企業が集まるドイツの大都市で、とてもきれいな整った街の感じだ。オリンピック記念公園など。
ミュンヘン郊外にあるニュンフェンブルク城庭園を散策。非常に広い敷地の中に、寄宿舎も立ち並ぶ。
ミュンヘンから100km行った、フユッセンが今日の宿泊地。フッセンに着いたのは、20:00過ぎ。今日は移動が多く、皆さんお疲れの様子。運転手泣かせの洞窟のトンネルや細いくねった道を通って、ホテルに到着。
今日の夕食は、魚料理でいまひとつであったが、ご主人の計らいで、特性の和風カレーと生卵、日本のご飯のサービスがあった。特性カレーがおいしかった。ホテルのご主人の奥さんは、日本の方で音楽家で世界中に演奏に出かけているとのこと。

<続く>





[紀行] 中欧、ドイツ3か国周遊紀3

中欧、ドイツ3か国周遊紀 3

10月20日(火)チェコ.プラハホテルにて6:30にバイキング朝食。
バイキング形式で、ウィンナー、ハム、チーズ、サラダ、フルーツと予想していたよりも、充実していた。ハム、チーズは種類が豊富だった。
8:15出発。ブルタバ川を渡ってプラハ市街地へ観光に向かう。
プラハは、チェコの首都で人口120万人。車は、通勤で結構渋滞している。
プラハ城からカレル橋へ向かう。
橋の中央にある、ネポムツキー像のレリーフに左手で触ると願いがかなうというと云われており、触られた箇所のみ金色に光沢を出している。
カレル橋はスリ多発地帯ということだが、今日は比較的空いているようだ。さほど待つことなく、ショットを収めることができた。
プラハ城の聖ヴィート大聖堂のステンドグラスがとてもきれいだった。世界で一番とも言われているらしい。(写真)
旧市庁舎にある、天文時計が珍しい。正午の音を聴く。

チェコで思いつくのは、大相撲での優勝力士へ贈られるガラス工芸品を思い出す。お土産店でボヘミアペアグラスをお土産に買う。
ヨーロッパでは、観光ガイドは免許を持っていないとできない。添乗員さんが、勝手に観光案内すると法律で罰せられる。そこで、現地のガイドさんが登場したが、この人が中々個性が強い人だ。長くチェコに在住されているようだ。
チェコ人は、空気を全く読ます、記念撮影しているアベックの前に、小学生低学年を相手に、歴史建物の歴史をせつめしていると。中国人は、見学で混み合っている中を我がもの顏で、前へ割り込んで行くと。。。プラハ城、大聖堂の案内中にこういった解説が入る。普段は何をされているのだろうか。
ランチは、グヤーシュというビーフシチュー風のものでビールとよく合う。
これからウィーンまでお世話になるバスの運転手さんもチェコだ。ホッケーが、チェコの民族スポーツらしい。
昼食後、チェスキークロムノフへ向かう。
共産党時代の名残りの建物があちこちに見られる。
チェスキークロムノフは、こじんまりとしたとてもきれいな街だ。ホテルも街の中心街。ロータリーになっている周りにホテルが並ぶ。春から夏の観光シーズンには、中々ホテルを取るのが難しいとのこと。チェスキークロムノフに泊まれるツアーは中々ないと、添乗員さんの弁。
クルムロフ城に上り、夜景を見る。
夜は、エッケンベルクビール工場の付属レストラン。添乗員さんが盛んに勧めていたこともあり、何組かの同胞が来ており、一緒に食することとなった。娘さんと二人できている親子連れもいた。ビールを2杯づつ飲んでも、二人分で400コルナ。一人当たり約1,000円ということは、相当安い。ビールは文句なくおいしい。ホテルで飲む用のビールも買って帰る。

<続く>

中欧、ドイツ3か国周遊紀2

10月19日(月)定刻(現地時間、14:40)、フランクフルト到着。ここで入国審査。
時差は日本の−7時間(サマータイム)。
ドイツらしく、シンプルで飾り気のない空港の印象。見渡すと、9割はルフトハンザ機の感じ。
チェコ.プラハ行き乗り継ぎの際のセキュリティが厳しかった。あそこまで、ボディチェックやられたのは、始めてかも。アメリカでも、これほどのボディチェックはされたことない。ちなみに、帰りは、ウィーンからフランクフルトへの乗り継ぎの際には、ノーセキュリティであった。
帰国後、知ったのだが成田で10月27日から導入されるというProVisionというボディスキャナが、導入されていたようだ。それでも足りずに、人によるボディチェックが行われた。
ボディスキャナは、両手を上げて3秒ほど静止する。フランクフルトでも、導入されたばかりなのであろうか。

16:15発LH1398 でルフトハンザからプラハへ。実質、約1時間のフライト。
フランクフルトソーセージを食する暇もなく、水を1本買って搭乗。2.8ユーロ。ビールの500mlが、3ユーロ。水500ml2本買って、消費税込で6ユーロとは、高いなあ。
機内ドリンクサービスで、ビールをたのんだが、これが正解。銘柄は、ワルシュタイナー、1753(写真)。アルコール度数は、4.8%。苦味も程よく、美味。さすがにビールのお国。お供のおやつが、カステラ風で甘さも程よく、美味しかったです。1時間のフライトでここまでサービスしなくとも思うのだが、サービスされると嬉しい。
フランクフルトは、10℃とのことだったが、さほど寒くは感じなかった。

17:15 定刻にチェコプラハ着。
プラハ空港から、プラハ市内を通って、バスでホテルへ。車窓から見たプラハは、思っていたよりも新しい気なきれいな街という印象である。新市街地だからだろうか。ホテルは、中心街から少し離れているため、ホテル近くのスーパーでビールと軽食を買う。チェコは、ビールが安くておいしい。10数コルナ(1コルナ=5円)で1本(500ml)買えちゃう。
チェコというとどうしてもチェコスロバキアと連想するが、1993年に民主化と共にチェコスロバキアチェコスロバキアに分離したということだ。チェコはロシア系民族の工業国、スロバキアはアジア系遊牧民の農業国。

ホテルは、部屋数が多い大きなホテルであったが、社会主義時代の党大会時の宿舎だったようだ。ところどころに、中高層のアパート風の建物が見られる。(写真)

<続く>

中欧、ドイツ3か国周遊紀1

10月19日(月)から26日(月)の6泊8日で、中欧3カ国を周遊した。3カ国は、チェコ、ドイツ、オーストリア
 9月一杯は、フルタイムでのジョブであったが、10月に稼働が半分になったので、都合を付けて急遽、ツアーを申し込んだ。日程は、10月中旬を目安と直前であったが、以外に参加できるツアーがいくつかあった。パリ滞在か、中欧周遊かで迷ったが、結局、色んな所に行けるこのコースにした。旅行会社はHISでネット申込み。

10/19(月) 成田7:25 集合と横浜からは超早。
鶴見市場(八丁畷)を5:18に乗り、押上で空港特急に乗り換え。始発のため、座れたが、大きなトランクを抱えた同胞達で一杯だ。
成田集合は、HISカウンターに並び、一組ずつチケットの交換と案内がされたのて、後ろの方だったこともあり、30分近く待たされた。みんなまとめて、話してくれればとちょっと思った次第。この辺のやり方は、添乗員さん任せなのだろう。添乗員さんは、芳中さん、札幌の所属で、月2回は、ヨーロッパを中心にツアーに出かけているとのこと。
ツアーは総勢34名。年寄りもいるが、若者も多そう。

9:55発LH711(ルフトハンザ) フランクフルト行き。
座席は、A,Bの窓側。出入りが大変で窓側は好まないのだが、致し方ない。窓からの景観を楽しめた。成田から、富士山を左手に見ながら、新潟の三条上空から佐渡に抜け、シベリアへ。
約、12hのフライトである。日本を横断していくとは意外な航路であった。ちなみに、帰路は、北海道から南下というコースであった。
そういえば、昼間のフライトは始めてかもしれない。昼食、おにぎり、夕食のコースだが、昼食がメインとなる。おにぎりサービスが中々良かった。
ルフトハンザ航空は、もちろん始めてだが、昨年のカタールの方が、食事もサービスも良かったかなという印象。でも機内は、日本語アナウンスあり。
全席モニタ横に、USB電源装備。機内でのwifiサービスもやっていたが、ドイツ語のためNG。エコノミーの場合、ヘッドホンは、調子が悪いことが多いので、自前のものを持って行った方が良いですね(復路では、本体の調子が悪く音声が途切れた)。
チェコは、ユーロではなく、チェココルナ(1コルナ=5円)という通貨のため、成田で両替をしておく。約\10,000。
3か国とは、チェコ、ドイツ、オーストリアと周るため、バスでの移動距離が結構ある。夕食は3回付いてのお任せモード度大。
日本時間18:30だ、そろそろ、夕食かな。昼の移動だとなかなか寝れないかな。映画は、相棒、ソロモンの偽証(前篇)など。

<続く>

仮想データ統合ツール3社

JDMC(日本データマネジメントコンソーシアム)研究会で、仮想データ統合ツールの製品紹介をまとめて聞く機会があったのでメモしておこう。
本当は、製品説明を聞くだけでなく、パネルでベンダー間でのバトルもあると良かったのかもしれない。同列に対比すべきかとのご意見もあろうが、容赦してもらおう。

1.アグラ
 基本スタンスは変わらず。AGRAはツール単独ではなく、プロフェショナルサービスの提供と相まってソリューションを提供するというビジネスモデルをより鮮明にされた感がある。
 大手製造業での、調達コストの最適化プロジェクトを前面に押し出されていた。全てのデータについてクレンジング、統合化を行ったのではなく、調達コストの高い、経営インパクトの大きいデータを抽出して、それらのデータ分析を行ったのがミソ。ビジネスユーザにとっては、必ずしも全データを対象にすることはない。一部のデータ(インスタンス)であっても、ビジネスインパクトは大きいのだ。しかし、このアプローチは、システムを運用しているIT部門には歓迎されない。IT部門は、コード統合、MDMを望む。アグラは、ビジネスユーザをターゲットにしている。この辺りをプレゼンでも明確に提言しているところは好感を持てる。
デモの範囲では、製品自体の大きなバージョンアップは解らなかった。Group by,Having句が設定できるようになり、SQLジェネレータとしての整備は進展しているようだ。デモストーリーは、ちょっとくどい感があり。もう少しシンプルで良い。
技術力のあるIT部門であれば、SQLでやった方が早いということもあろう。ビジネスユーザをターゲットとして、最小の努力で最大の利益を得るというソリューションをツール+プロフェショナルサービスで提供するというスタンスが明確になってきた。データマネジメントの王道とは言えないだろうが、ビジネスユーザには興味を持ってもらえそう。

2.インフォマティカ
インフォマティカ社は、ETLツール、Power Centerが知られており、高価だがツールとしての評価は高い。ETLでは物理DB、即ちDWHの構築が前提となり大掛かりとなるのが一般的である。そこで、一部のデータだけ統合してみようと言った場合には敷居もコストも高くつく。そこで、実DBを作らない仮想DB(ビュー)ツールのDataServicesを出してきたという感じではないだろうか。
DBを物理実装する代わりに、ビューを作成しておくというイメージで、キャッシュ化することもも可能。
データプロファイリングのDataExplorerやクレンジングのDataQualityは、ETLの場合と同様にオプションで購入して使う。
インフォマティかの営業スタンスとしてはやりやすそう。いきなり、PowerCnterでは準備も予算も大変のため、まずは、仮想化で入り込み、パフォーマンス面での問題が出てきたら、PowerCenterに置き換えるということもあろう。
メタデータリポジトリとして評判の良いMetadataManegerもオプション。ビジネスユーザ向けのWebブラウザツールもあり、ノンプログラミングでユーザ自身で仮想ビューを容易に作成し照会できる。このあたりは、DynaTrekとも類似しているかもしれない。

3.JBOS-EDS(レッドハット)
仮想データ統合ツールの本命と言えよう。。
仮想環境を構築しておけば、その下のレイヤ、データソースは、DBでもクラウドでも、環境を伴わないため、ポータビリティがある。
標準データモデルを作成して、データを繋げることになるため、データモデルの標準化が必要という考えで、解り易い。データの源泉から加工モデルへの変遷をモデル化できる。ターゲットモデル上のあるデータ項目が、中間モデル、さらに源泉となるモデルの何処から発生してきたのかを把握できる。
元々は、メタマトリックスという名前で、2001年頃からEIIツールとして存在していた。2007年にレッドハット社に買収されて今日に至っている。当初は、性能面での制約があったのだろうが、IT技術の進化により、気にしなくて良くなり、物理統合に比べて取組み易いということで、事例も増えてきているようだ。(この辺の事情はインフォマティカ社と同じ)
基になるデータベースからデータを抽出して、仮想化されたビューモデルで構成される自身の世界に取込み、最適なデータアクセスパスを実現している。ソースのDBMSに対して、直接SQLを発行するのではなく、いわば仮想DBMSJava実装)の世界を作っているため、パフォーマンスの劣化が無い。javaで実装されているので、Javaアプリケーションとしてのチューニングが可能になるということである。
技術に明るいIT部門の方には受けそうだ。
アグラとは、表向きできることは、類似しているが、ユーザへのアプローチは対極にあるようだ。


以上

イタリア旅行記その6(最終回)

■イタリア旅行記その6(最終回)
帰国へ。
イタリアとも今日でお別れだ。
夕方のフライトのため、空港へ向かうバスの出発は、12:00過ぎ。ホテルをチェックアウトしてから、近くのスーパーへお土産などを物色に行く。オリーブオイル、バルサミコ酢あたりだろうか。

12:00過ぎバスでローマ、ダビンチ空港へ向かう。30分弱で到着。
フライト時間まで間があるため、スナックランチを摂る。
ドーハには、深夜、1:00過ぎに到着。にも関わらず、ラッシュであった。特に成田行きのあるゲートの混雑はすごかった。
ドーハに到着する前の夜景は、きれいであった。帰りは気流の関係で少し早く、約10時間で成田に無事到着した。これにて今回のイタリア旅行記もおしまいであるが、イタリアについての雑感を少し述べておこう。

・気候や田舎の風景も日本に似ており住みやすそうだが、物価が高い。
・ビールよりワインが安いため、とりあえずビールはちょっと考えてしまう。
・町は、伝統的な建物、聖堂が多く、古いものを維持して住んでいる。内部はもちろん最新設備となっているが、建築家や建築業者にとっては、新しいデザインの機会が無く欲求不満にならないだろうか。
・大型トラックが、コンテナになってなく、ホロで覆っているのがほとんどだったが、何故だろうか。重量を軽くするためのエコ目的だろうか。
・絶妙な縦列駐車の列。
・こんなところをと思う細い裏通りに車がすいすい入ってくる。
・値札は、税込(内税)のため、金額が解り易い。チップが必要との話も聞いていたが、レストランでは特に意識しなくても良いようだった(多分)。
・宿泊税や観光税などやたらと税金が多い。
・公衆トイレが有料。急いでる時に小銭がないと大変。電子マネー化してくれればいいかも。

ベネティア、フィレンツェ、ローマと何処もすごい混雑でいささか辟易であったが、気候も良く、食べ物もおいしいので、観光地として人気があるのが納得できた。
雨のボローニャ、朝早くて貸切状態だったサンジェミ二アーノは、もう一度ゆっくりと滞在したい街だ。
ミラノ、ナポリと未だ訪れてない街も多く、機会があれば是非もう一度訪れたい国である。添乗員さんや同行のツアーメンバーにも恵まれ、楽しい時間を過ごすことができた。


終わり。



イタリア旅行記その5

■イタリア旅行記その5
5日目。終日フリー。オプショナルツアーでは、遠くはナポリカプリ島まで出かけた人もいる。
私たちは、気ままにローマ市内自由散策、主に、バチカン市国をターゲットとする。。一時、公共交通のストが予定されていたが、なんとか回避されたようだ。
ホテルから一番近い地下鉄のコルネリア駅までシャトルバスが出ており、利用する。月曜のローマ市内へ向かう道路は、やや遅めの時間ではあったが、大渋滞。地下鉄は、A線とB線の2系統しかなく、市内を移動するには、他にはバスとなる。6ユーロで地下鉄とバスが乗れる一日券を買う。コルネリア駅は、改札を入ってから線路まで地下4階分くらい潜ったような気がする。4駅目のオッタビアーノ駅で下車。
バチカン市国へ向かう。ここは、イタリアとは別の独立した国家ということだが、特段パスポートがいるわけではない。廻りを警備している市国警察らしき人がうろうろしていたが。
市国に足を踏み入れるとサンピエトロ大聖堂と広場が視野に入ってきた。これがと大聖堂に見入る。というよりも、聖堂入口への行列が広場を囲んでいる。列は流れているが、少なくとも入るのに1時間はかかりそうな感じであったので、外から見るだけに留める。
建物自身は、今まで散々見てきたので、それらと比べて、違いは良く解らなかった。広場で、記念撮影した後、一旦サンピエトロ寺院を出て、バチカン美術館へ向かった。あらかじめインターネットで予約しておいた。20ユーロ。入場時間指定での予約であったが、あまりチェックされないようだ。
ここも、聖堂の入り口同等またはそれ以上かと思われる行列であった。並んでいるのは、当日券の人のようで、待ち行列の間をかき分け、入口に向かうことができた。日本語オーディオガイドを7ユーロで付加。
中には、宝物がぎっしり。壁画もきれいに修復されている。修復作業中の様子も見ることができた。中は、撮影自由。ただ、システィーナ礼拝堂の天井画、天地創造・祭壇画、最後の審判は撮影禁止。
途中で、カプチーノとケーキの休憩を挟んで、3時間近くいただろうか。それでも、駆け足であった。じっくり見ようとしたら1日がかりであろう。

バチカンから歩いてナボーナ広場でジェラート休憩。途中、サンタンジェロ城に立ち寄ったが、月曜休館であった。
ヴィットーリオエマヌエーレ2世記念堂へ。イタリアの建国記念堂だそうだ。門兵の交代に立ち会うことができた。上階に上ると、外付けのエレベータがあり、展望台に上がれるようになっていた。7ユーロであったが、上がってみて良かった。ローマの街が一望できた。高層の建物が無いため、これくらいの高さで一望できるのだ。それにしても、中世色の赤茶色の街並みである。旧いものをずっと守り、維持し続けているイタリアだ。ここまで頑固に、古い町並みを守り続けているのもすごい。けど、本当に旧いものがそのまま残っているのは、フォロ・ロマーノの廃墟だけかもしれない。
東京のように、旧いものと近代的な建物が混在しているのも、美しいとは思うが。

夕食は、駅近くのオペラ座にも近いレストラン。ネットで評判がよく、バスの待ち合わせとなった場所からも近かったところ。
アーティチョーク(地元の野菜でカリフラワーっぽい)、リゾット、アスパラ、イワシの揚げ物、地元ビール(モレッティ)+ワイン。地元の人が多そうな店で値段も手頃で美味しかった。

明日は、移動日。(続く)